今回の内容は、以前、始業式で触れた内容です。
東桜学館は、国際理解教育や外国語教育に力を入れています。言い換えれば、異文化理解教育に力を入れていると言ってもいいでしょう。
ところで、異文化理解とはなんでしょうか?
外国の文化を知ること、まずは自国のつまり日本の文化を知ること、など様々な視点があると思います。
私が、皆さんにこれまで、異文化理解の入り口として話をしてきたのは、かつて山形県の教育委員会委員長をされた石坂公成(いしざかきみしげ)先生の講演をお聴きした際の内容です。(石坂先生についての詳細は検索してみてください。石坂先生は、文化勲章を受勲された著名な免疫学者です。)
その中で、石坂先生が、米国の幼児教育で大切にしていることをこのようにおっしゃっておられたのを印象深く覚えています。
「米国では、まず『他者は自分とは異なる存在であることをしっかりと認識すること』を教えます。」
人種やルーツが多様な米国だからこそ大切にしていると考えることもできますが、一方で「他者は自分とは異なる存在であること」はあたり前のことでもあります。
しかし、日本では、所謂「同調圧力」という言葉に象徴されるように、理屈としては人は皆それぞれ異なることをわかっていながらも、多くの人が他の人と同様であることを望み、違っているとそれを排除するような行動をとったり、誹謗や中傷を浴びせたりする現実があります。
まずは、他者は、自分とは育った環境、性格、ものの見方や考え方が異なる存在なのだということをしっかりと認識したいものです。
だからこそ、みんなで力を合わせ、一つのことを成し遂げるのは難しいことであり、尊いことなのだと思います。
そして、そのために我々はよりよいコミュニケーションのあり方を日々身に付けようとしているのだと思います。
また、他者は自分とは異なる存在であることを認識すると、他者に対して「寛容」の心も生まれてくるのではないでしょうか。
SNS等によって他者を誹謗、中傷してはいけないということは誰もが認識していることだと思います。
ただ、ここで皆さんに自分自身を振り返ってほしいのは、もしかすると、自分は誹謗や中傷だと認識しないまま、そのような行為をしている場合もあるのではないかということです。それは、自分自身の知識や理解が不足しているためであったり、想像する力や物事を客観視する力が不足しているためであったりするかもしれません。(だからこそ、メタ認知能力や批判的思考力を身に付ける必要があるのです。)
考え方がはっきりしていることは、一見よいことのように感じますが、その考え方が偏ったものの見方になっていたとするとやっかいです。
したがって、成長期にある皆さんには、一つの考え方に固執するのではなく、物事の捉え方は千差万別であるという前提で、様々な考え方を吸収し、その上で最適解を見つけていってほしいと思います。
そして、「他者は自分とは異なる存在であること」をしっかりと認識し、「多様性」と「寛容」の心を大切にできる人になってほしいと願います。
最後に、金子みすゞさんの有名な詩を一つ掲載して終わります。
「私と小鳥と鈴と」 金子みすゞ
わたしが両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥はわたしのように、
地べたを速くは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。