第7回東京大学金曜講座

11月2日開催の後期2回目の東京大学金曜講座は、「きれい? かわいい? 思想史から考える」と題した、東京大学 教養学部准教授の森元庸介先生の講座を40名が聴講しました。「joli」というフランス語(とりあえず「きれい」と「かわいい」のあいだぐらい)を例に、新しい感じ方が登場してきたかも、という歴史的なモメントのひとつを眺めてみるというアプローチの講座は、本校生に改めて知ることになったことも多かったようです。

【参加者の感想】

今まで私は「きれい」「かわいい」というと、顔や体のことだと考えていた。しかし、18世紀のフランスの小説家ラクロは、『きれいな女』で、きれいな女とは、表面的なきれいさではなく、何度も恋愛にチャレンジするような大胆さのことを言っている。「きれい」と「美しい」も、今では同じもののように感じられるが、18世紀のフランスでは、きれいといったら小さくて細いという意味も込められていて、若くて体の細い女性には「きれい」、年配で体の大きい女性には「美しい」という言葉を主に使っていたことを知った。今と昔だけでなく、国と国の間にも「きれい」の意味に違いがあることを知り、様々な言葉をグローバルな視野でとらえていきたい、と思った。(1年R.U.君)

18世紀のフランスの芸術から「きれい(joli)」という捉え方が生まれ、そこから今使用している「きれい」に変わっていったというのは、驚きでした。この頃のフランスの「きれい」とは、子供らしい魅力として使用されており、時代とともに「きれい」のイメージが変化していったのだと思いました。(1年K.M.君)

同じ地球上の人間でも、住んでいる場所によって言葉の感覚が大きく違うのだと知りました。例えばヨーロッパでは、きれいと美しいは全く別のものであるが、ヨーロッパの「きれい」が大人で堂々としているというところは日本と同じ感覚を表したものなのではないか、と思いました。ヨーロッパで「きれい」と言えば少し嫌味っぽく聞こえたり、褒め言葉にならなかったりすると知り、1つ1つの言葉を考えて使う必要性と同時に、普段使う言葉の軽さのようなものを感じました。(1年S.I.さん)